転運堂ではさまざまな開運方法がありますが一番パワーのあるのが法事になります。
1年の開運、縁結び、財運、魔よけ、さまざまにあります。お悩みによっての儀式をいたします。人生が陽になるようにと法事(儀式)をいたしますが、人の恨み呪い等の法事(儀式)は一切いたしません。
仏教の影響のある死後世界
最近は中国の解放政策以降、これまで迷信として禁止されてきた道教も認められるようになってきた。それまでは家の中で秘かに信仰していた民衆も、公然と道教の寺院に詣でるようになった。古代中国では、死者は黄泉あるいは泰山に行って安眠すると信じられていたが、仏教が伝わると、地獄の説が取り入れられるようになり、そこは陰惨な刑罰が繰り返される牢獄となった。同時に中国の警察・裁判組織を反映し極めて官僚的な冥府に変化した。人が死ぬとその魂は冥界の知事に、農村であれば土地廟に留置され、そこで拷問を受けたあと、泰山等の中央の冥府に送られる。
遺族は廟に行き、神を拝み、神の銭を焼く。また、冥途に行くには冥途路引という一種のパスポートが必要なため、それも焼いて送った。冥途にも貧富の差があり、貧者は生活難で、飢えや寒さに苦しむという。ものを焼くと、冥途に送られるため、遺族は紙銭を焼いて、死者が金に困って難儀をしないように援助するのである。
7日の判決の日まで、死者の判決が有利に運ぶように、追善供養を行い、さらに、生前のうちに借金を返し、死後使える金をためておくため、読経あるいは紙銭を、寺に寄進する受生寄庫も行われていた。
死者が冥途に着くとそこで裁判を受ける。善悪の秤に掛けられるのである。死者の生前の行為を記録した帳簿を一方に乗せ、善と悪の牌をもう一方に乗せてその重さで、罪を計るのである。中国では日常の善悪の行為を記録し、その人の成績を評定する「功過格」というものがある。また冥途には、業という巨大な鏡がある。死者が虚偽の申し立てをしようとも、死者の生前の行為があからさまに映し出されるのである。
審判を受けると24の獄の1つに送られる。そこには針山・血の池・抜舌・毒蛇・鋸解・呑火食炭・寒水などありとあらゆる責め苦が待ち受けている。この地獄の刑罰を逃れるには、1つには『度人経』等の経を読む。2つには、官吏も人間なので、もし官吏に知り合いがいれば、その者に取り入る。3つには官吏に紙銭の賄賂を送る約束をするのである。受刑を通過すると、罪福の程度に応じて、受生が決定され、天国・人間・餓鬼・畜生の世界に送られる。道教の死後の世界は、とても人間くさい世界であり、生きているときはゆうに及ばず、死んでからも、金と役人の苦労はたえないのである。道教は民衆の不幸や迷いを解決する現世利益的な宗教である。従って、不幸や迷いがあるかぎり民衆のなかに生きていくであろう。道教のもう1つの面に、不老不死の仙人になる修行体系がある。最近中国で流行し始めた「気功」はもともとこの行法の1つであった。